谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう) たとへ神に見放されても私は私自身を信じる
ブロンズちゃんの書籍紹介 Part72 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』
私の心はだんだん「秘密」などと云う手ぬるい淡い快感に満足しなくなって、
もっと色彩の濃い、血だらけな歓楽を求めるように傾いて行った。
さあさあ早く気狂ひにおなんなさい。誰でも早く気狂ひになつた者が勝ちだ。
可哀さうに皆さん、気狂ひにさへなつて了へば、其んな苦労はしないでも済みます。
正しく視ること、深く感ずること、美に憧れること、想像に豊かなること、
―――此れ等も芸術家としての要素ではあるが、
同時にそれらの結果を何等かの形に於いて生み出さうとする創造欲が伴はなければ、芸術家にはなれない。
古来支那や西洋には雄弁をもって聞えた偉人がありますが、
日本の歴史にはまず見当らない。
その反対に、我等は昔から能弁の人を軽蔑する風があった。
「私は自分の心の中を人に知らせることを好まない」けれども、
「人の心の奥底を根掘り葉掘りすること」は好きなのである。
他の一切を放擲して、全然助手を使はずに、
自分一人だけで此の仕事に没頭し、
殆ど文字通り「源氏に起き、源氏に寝ねる」と云ふ生活をつヾけた