「淫夢倫理」と「百合倫理」 ほもが悪いのか?ゆりが悪いのか?

終わりに、「淫夢倫理」と「百合倫理」について話す。

ほもが悪いのか?ゆりが悪いのか?

(男×男と見せかけたのんけ)(女×女と見せかけたのんけ)

 

(⒈ほも、⒉ゆり、⒊両方悪い、⒋両方悪くない)
(⒊安心して下さい、あなたは間違っています。あなたを責める人がいたら私が許しません。)
(⒋安心して下さい、あなたは正しいです。あなたを責める人がいたら俺が許さない。)

 

のんけが悪いに決まってんだろ!(八つ当たり)
(のんけと見せかけた男×男 女装山脈)
(のんけと見せかけた女×女 )
のんけは滅びろ!(暴論)のんけは滅ぼす!(迫真)

 

善から悪が、悪から善が生まれるという矛盾。

『真夏の夜の淫夢』の野獣先輩(二人は幸せなキスをして終了)を引き合いに出し、

「心情倫理」と「責任倫理」を妥協させることは不可能であると。

 

 

我々は現代文化が持つ亀裂に悩んでいるが、ヴェーバーはこの亀裂の一切を幻想なく透視した、少数の人間の一人なのであった。

 

フリードリヒ・マイネッケ

 

 

両人とも、マルクスは直接に、ヴェーバーは間接に市民的資本主義経済を基軸として、市民社会における今日の人間の、批判的分析を提出する。その際基礎となるのは、経済が人間の運命になったという経験である。

 

マルクスが治療法を与えているのに対して、ヴェーバーは一個の診断を下したに過ぎない。

 

カール・レーヴィット