【小説の神様】志賀直哉(しがなおや) 売り言葉に買い言葉、いくらでも書くつもり
人間が鳥のように飛び、魚のように水中を行くという事は果して自然の意志であろうか。こういう無制限な人間の欲望がやがて何かの意味で人間を不幸に導くのではなかろうか。人智におもいあがっている人間は何時かその為め酷い罰を被る事があるのではなかろうかと思った。
自分は飛んだ事をしたと思つた。虫を殺す事をよくする自分であるが、その気が全くないのに殺して了つたのは自分に妙ないやな気をさした。
生きている事と死んでしまっている事と、それは両極ではなかった。それ程に差はないような気がした。
日本は思ひ切って世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとって、その儘、国語に採用してはどうかと考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ。
『石原莞爾』といふ本を買つて来て少し読んだが、人生といふものが戦争だけのものであるといふ印象で甚だ不愉快だ、いやな世の中になつたものだ。
志賀氏は、その創作の上において決して愛を説かないが氏は愛を説かずしてただ黙々と愛を描いている。
私は、日本語を大切にする。これを失ったら、日本人は魂を失うことになるのである。戦後、日本語をフランス語に変えよう、などと言った文学者があったとは、驚くにたえたことである。