西田幾多郎(にしだきたろう) あたごやま入る日の如くあかあかと 燃し尽くさんのこれる命

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西田幾多郎講演集 (岩波文庫 青124-9) [ 田中 裕 ]
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数理を解し得ざる者には、いかに深遠なる数理も何らの知識を与えず、美を解せざる者には、いかに巧妙なる名画も何らの感動を与えぬように、平凡にして浅薄なる人間には神の存在は空想の如くに思われ、何らの意味もないように感ぜられる、従って宗教などを無用視している。

 

 

善を学問的に説明すれば色々の説明はできるが、実地上真の善とはただ一つあるのみである。即ち真の自己を知るというに尽きて居る。我々の真の自己は宇宙の本体である、真の自己を知れば啻に人類一般の善と合するばかりでなく、宇宙の本体と融合し神意と冥号するのである。宗教も道徳も実にここに尽きて居る。

 

 

他力といわず、自力といわず、一切の宗教はこの愚禿の二字を味うに外ならぬのである。

 

 

一脈相通ずるに至れば、暗夜に火を打つが如く、一時に全体が明となる。偉大な思想家の思想が自分のものとなる、そこにそれを理解したといい得るようである。

 

 

何人もいうことであり、いうまでもないことと思うが、私は一時代を劃したような偉大な思想家、大きな思想の流の淵源となったような人の書いたものを読むべきだと思う。

 

 

誠というものは言語に表わし得べきものでない、言語に表し得べきものは凡て浅薄である、虚偽である、至誠は相見て相言う能わざる所に存するのである。

 

 

回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして座した、その後半は黒板を後ろにして立った。黒板に向って一回転なしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。

 

 

人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行なり