フィンセント・ファン・ゴッホの言葉1


フィンセント・ファン・ゴッホ名言集



神に対する信仰を抱き続ける者は、ときおり良心のかすかな声を聞く。その時は、子供の素直さでこの声に従うべきなのだ。

自分を大事にしたり、興奮や障害にあまり気を配るつもりはない。自分の寿命が長いか短いかは、あまり気にならない。

急ぎすぎる必要はない。そうしたところで良いことはないから。ただ、絶対に静かに落ち着いて、出来る限り規則的でしかも一心不乱に、出来る限り簡潔に仕事を続けていかねばならない。

働き、働きながら考える単純な農民こそ、私にとって教養人である。今までもそうだったし、これからもそうだろう。

もう再発することはあるまいと思い始めた発作が、また起きたので苦悩は深い

誇り高き敗北者

この死の中には、何ら陰的なものはなく、純金の光にあふれた太陽と共に、明るい光の中でことが行われるのだ

この土地は実に絵のようで実に独特だ。言わば、そこでは全てが語っているのだ。

その樹に注意力を全部集中して、その樹が生きてくるようになるまでやり続ければ、その周囲の事物は、おのずから出来上がってゆくものだ

深い紺碧の中に光る星のように、神秘的効果を獲得する

無限を描く

夜は昼よりも色彩豊かなのだよ

カフェとは人がとかく見を持ち崩し狂った人となり、罪を犯すようになりやすい所だということを表現しようと努めた

ゴーギャンはこのアルルの仕事場の黄色の家に、とりわけこの僕に嫌気がさしたのだと思う

君が"ムスメ"とは何のことかを知っているなら、僕はそれを一つ描いた

ゴーギャンのことだが、僕は彼を怖がらせてしまったのだろうか。何故彼は消息を知らせてこないのか。

ピサロが、あの若い少女に何物かを見出してくれたことは、とても嬉しい

カミーユピサロ
ドラクロワが試みて描きあげた牢屋のタッソの方が、より調和に満ちている。他の多くの絵と同様、本当の人間を表現しているのだ。

糸杉のことが、いつも僕の心を占めている。僕は糸杉を主題として、あのひまわりのようなものを作りたい。

人間は鎌で刈られる小麦のようなものだという意味で死のイメージを見たのだ

人が自然を愛するなら、その人はいたるところに美を見出すことが出来る

二つの補色の結婚によって二人の恋人たちの愛を表現すること、星によって希望を表現すること、夕日の輝きによって人間の情熱を表現すること、それは表面的な写真ではないが、それこそ真に実在するものではないだろうか

赤と緑によって人間の恐ろしい情念を表現しよう

結局無意識のうちに、モンティセリ風の厚塗りになってしまう。時には本当にモンティセリの後継者のような気がしてしまう。

アドルフ・モンティセリ
この地方は大気の透明さと明るい色の効果のため、日本みたいに美しい。水が美しいエメラルドと豊かな青の色の広がりを生み出し、まるで日本版画に見る風景のようだ。

その子のために、すぐ青い空を背景に白い花をつけたアーモンドの木の枝の絵を描き始めました

この品を、大事に取っておいてくれ

日本の芸術について勉強していると疑いもなく、賢者にして哲学者という知的な人間に出会う。この人は何をして、時を過ごしているのだろうか?

彼は一本の草の芽を研究しているのだ。しかしこの草の芽は、彼に全ての植物をそうして四季を壮大な風景を描き出させ、ついには色々な動物、それから人間の姿を描き出させるようになる。

人生は全てを描くには余りにも短い

それでも僕は、この言葉を使って良いのなら、宗教の必要を強く感じることがある。そういうとき、僕は夜、外へ星空を描きに出る。

これで終わりにしたかった

画家が生きている間はそんなに支払われなかったのに、死ぬと高い値がつくという話をよく耳にします。それはチューリップ取引のようなもので、生きている画家にとっては長所よりも短所の方が多いのです。