【紅露時代】幸田露伴(こうだろはん) 命を賭して学ぶ理由がある!命を賭してほもびに出演する理由がある!

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幸田露伴集 怪談 (ちくま文庫) [ 幸田露伴 ]
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鷹鸇の飛ぶ時よそ視はなさず、鶴なら鶴の一点張りに雲をも穿ち風にも逆って目ざす獲物の、咽喉仏把攫までは合点せざるものなり。

 

 

努力は一である。併し之を察すれば、おのづからにして二種あるを觀る。一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は當面の努力で、盡心竭力の時のそれである。

 

 

努力して努力する、それは眞のよいものでは無い。努力を忘れて努力する、それが眞の好いものである。

 

 

中に就て酒と茶とは殊に水の力に藉る。酒は水に因つて体を成し、茶は水に縁つて用を発す。

 

 

もしそれ真の意味に於て言を為せば、貧と富とは幸福と不幸福とに対して相即くところは無い。貧でも幸福であり得、また不幸福であり得、富でも不幸福で有り得、また幸福で有り得るからで有る。

 

 

双六は上らぬうちが面白いのだ。貧富何ぞ論ずるに足らんや、ただ一日を如実に働くべきのみ、幸福も不幸福も忘れた時が真の幸福であるだろう。

 

 

されば「如何にあるべきか」を考へるより「如何に為すべきか」を考へる方が、吾人に取つて賢くも有り正しくも有ることであるといふ言は、真実に吾人に忠実な教であります。

 

 

然らば如何にして、物に接すべきか。
それには、その物を愛する、この心がけが最も重大なものであつて、これは仁である。
その物を理解し、正しく取り扱ふ、これは次に大切な心がけであつて、これは義である。物に接するにも仁義が第一である。