裁判全ての人間を殺ろし者 偉大なる罪人の生涯

この第五篇は私の見解では長編小説のクライマックスで、これは特に入念に書きあげなければなりません。あなたにも最終稿から見ておわかりのように、本編の思想は現実から遊離した青年層の間に見られる、極端な瀆神と現代ロシアの破壊思想の芽生えの描写です。

 

そしてこの瀆神及びアナーキズムと並べて、私は今、長編小説の人物のひとりであるゾシマ長老の臨終の遺言の形で、その瀆神とアナーキズムの論破の用意をしております。

 

私は『悪霊』の中で、この上なく純潔な心を持つ人間でさえ、身の毛のよだつような悪事へと巻き込まれていく、その多様をきわめた動機を描こうとしたのである。

 

真理の為なら、全てを犠牲に、命まで犠牲にしても良い。

 

私の神への賛歌は、懐疑の煉獄を通ってきた。

 

全巻を貫く思想は、私が一生のあいだ意識的に、無意識的に苦しんで来たこと、神の存在ということです。主人公はその生涯で、ときとして無神論者に、信仰者に、分離派の信者に、そしてまた無神論者になります。

 

長いこと私を苦しめていた一つの意図があるのですが、私はそれを小説に書くことを恐れていました。なぜならその意図があまりにも難しいものなので、それが魅力的であり私も愛しているものであるにもかかわらず、準備することができなかったのです。その思想とは完全に美しい人間を描くことです。

 

この世界にただひとり無条件に美しい人間がおります。それはキリストです。したがって、この無限に美しい人物の出現は、もういうまでもなく、永遠の奇蹟なのです。