ミシェル・フーコー『狂気の歴史』
|
狂気の人と理性の人は、分離しながらも、まだ分離しきってはいない。
学問の言葉よりもずっと前段階的で根源的で粗削りな言葉でもってこの両者は、
両者の分裂に関する対話を始めている。
この対話は、両者がまだ話を交わしていることを束の間証している。
そこでは狂気と非狂気、理性と非理性が漠然とからみあっている。
鎖は解かれ狂人は自由になる。そしてこの時、理性を取り戻す。
いや、そうではない。
理性が正真正銘に再出現するというのではなく、
すっかり組み立てられた種々の社会的類型が再出現するのである。
全て偉大なものは、美しい狂気から生まれる。
つまり、狂気の道を、突き進む必要かあるのか?
・・・・・・
とっくに、全員が狂気の道に突き進んでいるやん。
この道を盲目的に突き進んでいる大衆を、
一人で堰き止め、全く別の方向に流す。
どうすれば、ええんや(・ω・`)
・・・・・・
その為のその為の、真夏の夜の淫夢。