マックス・ヴェーバー『職業としての政治』


ブロンズちゃんの書籍紹介 Part20 マックス・ヴェーバー『職業としての政治』

 


 

 

 

情熱は、仕事への奉仕として責任性と結びつき、

 

仕事に対する責任性が行為の決定的な基準となった時に、

 

はじめて政治家をつくり出す。

 

そしてそのためには判断力ーこれは政治家の決定的な心理的資質であるーが必要である。

 

倫理的に方向づけられた全ての行為は、

 

根本的に異なった二つの調停しがたく対立した準則の下に立ちうるということ、

 

すなわち「心情倫理」と「責任倫理」に方向づけられている場合があるということ。

 

燃える情熱と冷静な判断力の二つを、

 

どうしたら一つの魂の中でしっかりと結びつけることができるか。

 

国民は利益の侵害は許しても、名誉の侵害、

 

中でも説教じみた独善による名誉の侵害だけは断じて許さない。

 

人が心情倫理の準則の下で行為するー宗教的に言えばキリスト者は正しきを行い、

 

結果を神に委ねるーか、

 

それとも人が予見しうる結果の責任を負うべきだとする責任倫理の準則の下で行為するかは、

 

底知れぬほどの深い対立である。

 

この問題が的確に展開されている、

 

例の大審問官の場面を覚えておられるであろう。

 

心情倫理と責任倫理を妥協させることは、不可能である。

 

仮に我々が、

 

目的は手段を神聖化するという原理一般を何らかの形で認めたとしても、

 

具体的にどのような目的がどのような手段を神聖化できるかを、

 

倫理的に決定することは不可能である。

 

 

最大多数の最大幸福の為の最小少数の最小不幸

 

全ての命を救う為に、永遠平和の為に、

 

一つの命を殺す。一つの種の命を殺す。

 

いや、なんで、誰も誰一人、気が付かないんだろう?

 

 

全ての人間の命に値する、世界を変革する理論を、

 

大笑いされる(´º∀º`)ファーʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬ

 

100年後に、全員気付いて、全員恐怖に震え慄く。